沿革/創設者・式場隆三郎
美しき志を受け継いで
沿 革
早くから環境面の充実を図り
日本の精神科医療界に一石
1936年(昭和11年)
式場隆三郎が千葉県市川市国府台の地で国府台病院を開院
1946年(昭和21年)
式場病院と改称
1952年(昭和27年)
バラ園の造成に着手。翌年には式場隆三郎が中心となり市川駅北口ロータリーに「バラサンクガーデン」を開設
1953年(昭和28年)
病床が151床に増
1956年(昭和31年)
病棟、本館を新設(231床)
医療法人に組織を変更1958年(昭和33年)
式場隆三郎が日本バラ会(現・公益財団法人日本ばら会)理事長に就任
1963年(昭和43年)
式場隆三郎記念病棟完成(335床)
1980年代前半
他院に先駆けてデイケアを導入
1984年(昭和59年)
HI病棟完成(366床)
2000年(平成12年)
6月新館完成(JK病棟・事務室・薬局・会議室等)
2004年(平成16年)
8月デイケアセンター 新築
11月ROSE VILLA(ストレスケア病棟)新築2005年(平成17年)
7月厨房・南棟 増改築
2006年(平成18年)
2月南棟3階 改修
2011年(平成23年)
4月新A棟 新築(50床)
8月BC棟 改修(33床)2017年(平成29年)
9月式場隆史院長 就任
2019年(令和元年)
10月ホームページリニューアル
2021年(令和3年)
6月A病棟を認知症治療病棟に改修
創設者・式場隆三郎
革新の医療体制を支えた
文化・芸術への深い愛情
式場隆三郎は、1898年7月2日、新潟県中蒲原郡五泉町(現五泉市)に生まれました。
1921年に新潟医学専門学校(現在の新潟大学医学部)を卒業し、1929年に医学博士に。以降、新潟脳病院での勤務、東京での神経科医院の開業、静岡脳病院院長への就任等、精神科医としてのキャリアを重ねていきました。
式場病院の創設(当時は国府台病院)は1936年、隆三郎38歳のときのこと。風光明媚な千葉県市川市国府台の地で、彼の「暗いイメージの精神科に明るさを取り入れ、より文化的で和やかな空気が感じられるように」という想いは、芸術の潤いがあふれる空間づくり、広大なバラ園の造営、近代的な病棟の建設などに結実し、それらは日本の精神医療界に大きな一石を投じることになりました。
創設者・式場隆三郎
こうした革新的な医療の根底には、幼いころから心を寄せていた文学への素養、白樺派の人々や芸術家らとの交友など、医療活動以外で数多く関わった事象から得た知見や思想が横たわっていました。具体的にはゴッホやロートレックら芸術家の研究・紹介、柳宗悦が主導した民芸運動への参画、山下清の教育支援、200冊に及ぶ書籍の刊行などの活動が相互に連関し合い、式場病院での医療に大きく還元されていったのです。
1965年、67歳で生涯を終えましたが、式場隆三郎が確立した文化的な環境を大切にする医療はいまの式場病院にも脈々と受け継がれています。
式場隆三郎『ファン・ホッホの生涯と精神病』
(聚楽社、1932年/芹沢銈介装幀)
ゴッホ研究における式場の代表作
式場隆三郎『ロートレック 生涯と芸術』
特製本(二見書房、1942年/芹沢銈介装幀)